島根ならではの「厄」と「神在月」をざっくり理解する

「島根で厄払いをした方がいいと聞いたけれど、どこへ行けばよいのか分からない」「神在月やお忌みさんという言葉は知っているけれど、実際の暮らしとどう結びついているのかイメージが湧かない」。そんな疑問を抱えたまま、何となく不安だけを抱えている人もいるのではないでしょうか。この文章では、島根ならではの神在月の考え方や、紐落としなど地域に根付いた通過儀礼を踏まえつつ、「厄払いをきっかけに自分の暮らしを整える」という視点から、具体的なヒントをまとめました。出雲・松江・石見・隠岐の違い、地元の人と移住者の感覚の差、帰省や旅行と組み合わせた参拝のアイデア、厄払い後の一年をどう使うかといったことまで、中学生でも読めるやさしい言葉で整理しています。読み終えたときには、「こうしなければならない」ではなく、「自分はこのやり方で行ってみよう」と思える一歩が見えてくるはずです。
出雲・石見・隠岐のちがいから見る「厄」との距離感
島根と聞くと、まず出雲のイメージが浮かぶ人が多いかもしれません。しかし、県内を広く見てみると、出雲・石見・隠岐では暮らしの空気も違い、「厄」との距離感も少しずつ変わります。出雲では、神社が生活圏のすぐそばにあり、神在月のニュースや話題を耳にする機会が多いと言われます。一方、山や温泉地が印象的な石見では、年中行事としての厄除けや家内安全の祈願が「家族の習慣」として静かに続いていることが多く、離島の隠岐では地域の結びつきの中で節目をみんなで見守る雰囲気があります。もちろん、どの地域にも信心深い人もいれば、あまり気にしない人もいて一様ではありません。ただ、「島根ではこうした文化や土地柄のちがいが重なって、厄との向き合い方も多様になっている」という前提を知っておくと、自分だけが変なのではないか、と悩まずに済みます。自分の感覚がどのタイプに近いのか、家族や友人と話してみると、新しい気づきが生まれやすくなります。
神在月とは何か:全国の神無月とのちがいと信仰上の位置づけ
全国的に旧暦十月は「神無月」と呼ばれ、「出雲以外の土地では神さまが留守になる月」と説明されることがあります。一方で、出雲地方では同じ時期を「神在月」と言い、全国の神々が出雲に集まって、人の縁や国のゆくえなど大切なことを話し合うと伝えられてきました。これは歴史的な事実というより、長く受け継がれてきた信仰上の考え方です。出雲の主な神社ではこの時期、「神迎祭」「神在祭」「神等去出祭」といった行事が続きますが、すべての神社で同じ形が行われているわけではありません。また、地元ではこの期間を「お忌みさん」と呼び、昔は家の建て替えや大きな工事を控えたり、大声で騒がないようにしたりする家が多かったと言われています。現在は生活スタイルが変化し、そこまで厳密に守る家は減っていますが、「この時期は神さまの大事な会議の期間だから、少し静かに過ごそう」という感覚は、今もところどころに残っています。厄払いの時期を考えるときも、「神在月は神さまに相談しやすい時期なんだな」というくらいの気持ちで、暦を眺めてみるとよいかもしれません。
「厄を払う」より「近況を報告する」という考え方
「厄払い」と聞くと、つい「悪い運気を全部取り除く儀式」というイメージを持ってしまいがちです。しかし島根の寺社の案内を見ていると、厄除けだけでなく、家内安全や交通安全、健康成就、商売繁昌といった願いごとが一緒に並んでいることが多く、日々の暮らし全体を支えてもらう場所として位置づけられていることが分かります。そこで、発想を少し変えて、「厄をゼロにする」ではなく「いまの自分の状況を神さまに報告して、これから一年をどう生きたいかを宣言する時間」と考えてみると、ぐっと現実的になります。例えば、ここ数年の体調の変化や、仕事や家族のことで気になっていることを、箇条書きでも良いのであらかじめ整理しておきます。そのうえで、「今年はこれだけは大事にしたい」と思うテーマを一つ決めて参拝すると、祈りが具体的な行動につながりやすくなります。「怖いから行く」のではなく、「これからの一年を整えるために、一度立ち止まりに行く」ととらえると、厄年の三年間も、ただ不安な期間ではなく、自分の暮らしを調整する時間として使えるようになっていきます。
年祝い・厄年・還暦など節目の言葉を整理してみる
日本では昔から、一定の年齢ごとに「年祝い」と呼ばれる節目の行事があり、還暦・古希・喜寿などの名前を聞いたことがある人も多いでしょう。これらは長寿を祝う色合いが強いのに対し、厄年は心身の変化が出やすい年齢に注意を向けるための目印とされています。島根や山陰地方では、こうした全国共通の節目に加えて、出雲地方を中心に「紐落とし(帯直し)」と呼ばれる独自の通過儀礼が残っています。これは数え年四歳ごろに行われることが多く、子どもが無事ここまで育ったことを神さまに感謝し、これからの成長を願う行事です。一方で、全国的に知られる七五三は、三歳・五歳・七歳で祈る行事ですが、山陰では紐落としだけを行い、五歳や七歳の祝いを特にしない地域もあります。つまり、どの節目をどのように祝うかは、地域や家庭によって大きく違うのです。厄年も同じで、「必ずこうしなければならない」という絶対的な決まりがあるわけではありません。自分と家族にとって意味のある節目はどこか、世代や地域の違いを確かめながら選んでいくことが大切です。
生まれた土地と今の暮らしの土地、どこで祈るかを考える
厄払いを考えるときに多い悩みが、「生まれ育った土地の神社で受けるべきか、それとも今住んでいる地域の神社でいいのか」という点です。島根出身で県内の別の市町村に住んでいる人、県外に引っ越した人、それぞれ事情は違いますが、考え方のヒントとしては次のような整理が役立ちます。今の暮らしや通勤、子どもの学校など、日常の安全や仕事のことをお願いしたいなら、基本的には今住んでいる地域を見守っている神社やお寺に足を運ぶのが自然です。一方、生まれ故郷の家族や先祖とのつながりを意識したいときには、実家近くの神社やお寺に帰省の際に立ち寄り、「こちらも元気で暮らしています」と報告する形がしっくりくるかもしれません。どちらか一方に決めなければならないわけではなく、「日常は今の土地、節目はふるさと」と役割を分ける方法もあります。大切なのは、自分の気持ちが落ち着く形を選ぶことです。「迷った末に何もしない」より、「いまの自分に無理のない形で一度お参りする」方が、気持ちに区切りがつきやすくなります。
島根で暮らす人のリアルな厄払い事情
島根出身者にとっての「当たり前のお参り」とは
島根で生まれ育った人に話を聞くと、「気づいたら毎年どこかの神社に行っていた」という声をよく耳にします。お正月の初詣、春や秋のお祭り、子どもの節目の祈願、交通安全のお守りをもらいに行く日など、特別に意識しなくても自然と足を運ぶ機会が積み重なっているためです。その流れの中で、「今年は前厄だから」「還暦の年だから」といった理由で祈祷を受けることもあり、厄払いだけが突出して重たい行事というより、「いつものお参りの延長線上にある節目」として受け止められていることが多いようです。ただ、同じ島根でも、家によって習慣は大きく違います。祖父母の代から毎回祈祷を受けている家もあれば、「名前の札を出すのは大きな節目だけ」という家もあります。地元の人にとって当たり前に感じられる行動も、よそから来た人には新鮮に映ることがあります。その違いを知っておくと、「自分はどうしたいか」を冷静に考えやすくなります。
移住・転勤で来た人が戸惑いやすいポイント
最近の島根は、移住やUターンが増えている地域の一つです。海や山が近く、都市部ほどの混雑がないことから「落ち着いて暮らせる場所」として選ばれることも多くなりました。一方で、他県から来た人が戸惑いやすいのが、地域ごとの寺社との距離感です。近所の人から「このあたりの氏神さんはここですよ」とさらっと教えてもらったり、自治会の回覧板に祭礼の日程が当たり前のように載っていたりすると、何となく「行かないと失礼なのでは」と不安になることがあります。また、神在月やお忌みさんといった言葉だけを聞くと、厳格なルールがあるように感じてしまう人もいるでしょう。そんなときは、まず「全部を一度に完璧にこなす必要はない」と自分に言い聞かせることが大切です。散歩のついでに近くの神社を通ってみて、鳥居の前で一礼することから始めてもかまいません。境内の掲示板や公式サイトで、厄除けや祈祷の案内があるか軽く確認しておくと、「いざというとき頼れる場所」がひとつ増えたような安心感につながります。
親や祖父母世代が大切にしてきた年祝いとの向き合い方
親や祖父母世代は、還暦や古希などの年祝いをとても大事にしてきた世代です。親戚一同が集まって食事をしたり、家族で寺社にお参りに行ったりする行事が、今よりも身近にありました。そのため、子や孫の世代が厄年を迎えると、「そろそろお参りに行った方がいいよ」と声をかけてくれることがあります。こうした言葉には、「同じように節目を大切にしてほしい」という願いと、「心配だからこそ何かしてあげたい」という気持ちが混ざっています。ただ、今の現役世代は仕事や子育てで忙しく、「そこまで時間が取れない」と感じてしまうことも多いでしょう。その場合でも、完全に断ってしまうのではなく、「今年は一緒にお参りだけ行こう」「食事会は日を改めて」といった折衷案を提案することができます。世代ごとの価値観の差を理解しつつ、自分たちの生活リズムも守れる形で折り合いをつけることが、家族関係を穏やかに保つうえでも大切です。
仕事が忙しい世代が無理なくできる祈りとの付き合い方
三十代から四十代にかけては、仕事の責任が重くなったり、子育てや親の介護が重なったりしやすい時期です。ちょうどこの年代は一般的な大厄の年齢とも重なるため、「厄払いに行きたい気持ちはあるが、時間やお金の余裕がない」と感じる人も少なくありません。そこでおすすめなのが、「まずは一日だけ、少し早起きして近くの神社に行く」というやり方です。正式な祈祷を必ず受けなければならないわけではなく、静かな時間帯に参拝し、日々の感謝と不安を丁寧に言葉にするだけでも、心の中の整理が進みます。そのうえで、どうしても祈祷を受けたいと思ったときには、土日祝に受付があるか、何時までに申し込めばよいかを事前に電話で確認しておきましょう。「年が明けてから落ち着いた時期に行く」「誕生日の前後に合わせる」など、自分なりのタイミングを決めておくと、忙しさに流されにくくなります。厄払いは一日だけのイベントではなく、自分の暮らしを見直すきっかけとして、できる範囲で取り入れていけば十分です。
島根を離れて暮らす人がふるさとにお願いするときの視点
進学や就職で島根を離れ、都市部で暮らしている人も多いでしょう。そのなかで「厄年だから、やはり島根で何かしておきたい」と感じることがあります。この場合、まず考えたいのは「今の生活圏での安全」と「ふるさととのつながり」を分けてとらえることです。日々の通勤路や住まい、付き合いのある人たちの安全を願うのであれば、現在住んでいる地域の神社やお寺での厄除けを軸にしてかまいません。そのうえで、年末年始やお盆など、もともと帰省する予定がある時期に、実家近くの神社に立ち寄って「こちらも元気にやっています」と報告をすると、心の中で一本筋が通ったような感覚が生まれます。必要であれば、そのタイミングで家族と一緒に祈祷を受けることもできますが、必須ではありません。「離れて暮らしていても、ふるさとにいつでも戻れる」という安心感そのものが、厄年の不安を和らげてくれることもあります。
帰省・旅行ついでにできるライトな厄払いと参拝アイデア
日帰り・一泊二日など滞在時間別のざっくりプラン
島根を訪れるきっかけが、厄払いだけとは限りません。実家への帰省や観光旅行のついでに、「せっかくだから一年の節目として手を合わせておきたい」と考える人も多いはずです。そのときに役立つのが、滞在時間に応じたざっくりした組み立て方です。日帰りで動くなら、無理にあちこち回るのではなく、アクセスしやすい寺社を一か所だけ選び、ゆっくり参拝する形が現実的です。一泊二日以上の滞在であれば、初日は観光や食事を中心にして、二日目の午前中を祈りの時間にあてると、心にも体にも余裕が生まれます。連休を利用して帰省する場合は、実家近くでの参拝と、少し足を伸ばした有名な社のどちらも組み込むことができますが、移動時間を詰め込み過ぎるとせっかくの祈りがあわただしい作業になってしまいます。大まかに「観光の日」と「静かに過ごす日」を分けておくと、旅全体の満足度も上がりやすくなります。
出雲エリアで「縁結び」と「厄除け」を一緒に考える
出雲エリアは、縁結びのイメージが強い地域です。ただしここでいう「縁」は恋愛だけを指すのではなく、人とのつながり、仕事との出会い、健康との関係など、広い意味でのご縁と理解されることが多いです。神在月の期間には、神々がさまざまな縁を話し合うとされる伝承もあり、「自分のこれからのつながり方」を見つめ直すにはよいタイミングだと言えます。厄払いと合わせて考えるときは、「切りたい縁」よりも「育てたい縁」に意識を向けると、祈りの方向が自然と前向きになります。例えば、「仕事で良い出会いがありますように」とだけ願うのではなく、「チームの中で誠実に役割を果たせる自分でいられますように」といった、自分の行動に結びつく言葉を選ぶと、日常で意識しやすくなります。出雲の社に足を運ぶときは、観光の写真を撮るだけでなく、静かな時間を少しとって、自分にとって大事な縁は何か、じっくり考えてみると良いでしょう。
松江エリアで城下町散策と参拝を組み合わせる過ごし方
松江は、城下町の風情と湖や堀川の景色が調和したエリアです。コンパクトな範囲に歴史的な建物や寺社が集まっているため、「歩いて回りながら心を整える」時間をつくりやすい地域でもあります。厄払いをきっかけに訪れるなら、午前中に寺社での参拝を済ませ、午後は城の周りや湖畔を散策するルートがおすすめです。参拝後すぐに次の予定へ移動してしまうと、せっかく感じたことや思いついたことが、移動の疲れで薄れてしまいかねません。堀沿いのベンチに座って、さきほど手を合わせながら考えたことをメモに書き出したり、同じ場所にいる家族や友人と素直な気持ちを話したりする時間を意識的に作ると、厄年に対する捉え方が少し変わってくるはずです。観光と祈りを分けるのではなく、「歩きながら心をほぐす散策」として組み合わせるのが、松江らしい過ごし方と言えるでしょう。
石見・隠岐エリアでドライブと祈りを両立させるコツ
石見や隠岐の多くの場所では、移動に車やフェリーが欠かせません。海沿いの道や山道を走りながら寺社を巡るのは楽しい一方で、移動の負担が大きいと、参拝の時間に余裕がなくなってしまいます。そこで意識したいのが、「無理のない距離設定と安全第一」です。まずは地図アプリで目的地までの移動時間を確認し、高速道路やフェリーの時刻も含めて、余裕を持ったスケジュールを立てましょう。初めて通る山道や細い道は、日が高いうちに走るように計画しておくと安心です。冬季は積雪や路面凍結の可能性もあるので、天気予報と道路情報を確認し、状況によっては計画を変更する柔軟さも必要です。道の駅や展望台など、途中で休憩できるポイントをあらかじめチェックしておくと、運転の緊張をこまめにほぐせます。厄除けの祈りと同じくらい、「無事に家へ帰ること」を大切にすることが、石見や隠岐でのドライブ参拝の大事なコツです。
温泉や道の駅を組み合わせて心身をゆるめる寄り道計画
島根には、玉造温泉や温泉津温泉など、歴史ある温泉地がいくつもあります。厄払いのために出かける日程に、こうした温泉地や道の駅への寄り道を組み込むと、心と体の両方を整える旅になります。参拝の前後どちらかに温泉に立ち寄り、湯船につかりながら、ここ一年を振り返る時間をとってみてください。大きな決意をする必要はなく、「この一年でうれしかったことは何だったか」「しんどかったことから何を学んだか」といった素朴な問いを、自分に投げかけるだけでも十分です。道の駅では、地元の野菜や魚、加工品を少しだけ購入し、帰宅後の食卓で家族と味わうのも良いでしょう。「祈って終わり」ではなく、「祈ったあとに自分をいたわる時間を取る」ことで、厄年の重さが少し軽く感じられるはずです。温泉や道の駅は、派手な開運スポットではありませんが、日常に戻る前のクッションとして、大きな役割を果たしてくれます。
島根で厄払いをお願いできる主な寺社の考え方
日常を見守る氏神を入り口にする良さと探し方の例
厄払いというと知名度の高い社寺に目が向きがちですが、日々の暮らしに一番近いのは「氏神」と呼ばれる神社です。氏神とは、その地域を守っている神さまのことで、昔からその土地に住む人々にとっての拠り所となってきました。今住んでいる場所の氏神がどこか分からない場合は、市役所や観光協会が出している神社一覧を見たり、地図アプリで近所の神社を検索したりするところから始められます。近所の方に「このあたりのお宮はどこですか」と尋ねるのも一つの方法です。実際には、必ずしも「ここが氏神です」とはっきり書かれていないことも多いので、「普段からお世話になりたい神社」を自分なりに決めるくらいの感覚で構いません。厄年でなくても、通勤途中や散歩の帰りに立ち寄り、「今日はこんなことがありました」と短く報告する習慣ができれば、その場所は自然と心の拠り所になっていきます。大きな社での祈祷も良いですが、まずは生活圏にある小さな神社から、ご縁をつないでみるのがおすすめです。
有名な社で祈りたいときに意識したいポイント
出雲大社をはじめ、島根には全国的に知られた社がいくつかあります。人生の大きな節目を迎えたとき、「せっかくなら有名な社で祈っておきたい」と考えるのは自然なことです。ただし、知名度の高い神社は、祭礼や神在月、連休などには多くの参拝客が訪れるため、混雑や待ち時間も発生しやすくなります。厄払いの祈祷を受けたい場合は、公式サイトや観光パンフレットで祈祷の受付時間、予約の要不要、団体の受け入れ状況などを事前に確認しておきましょう。また、祭りの期間には交通規制が実施されることもあるので、現地までの移動手段や駐車場の場所も合わせてチェックしておくと安心です。スケジュールを立てるときは、祈祷をできれば午前中の早い時間に組み込み、午後はゆったり境内を歩いたり、周辺を散策したりする余裕を残しておくと、慌てずに過ごせます。「有名な社に行くこと」だけが目的になってしまうと、肝心の祈りに心が向かいにくくなります。時間と心の余裕をセットで用意しておくことが大切です。
お寺で厄除けを受ける場合の流れと特徴
厄除けは神社で行うイメージが強いかもしれませんが、お寺でも「厄除祈願」や「星まつり」といった形で厄年の祈りを受け付けているところがあります。島根でも、節分のころに護摩祈祷を行うお寺や、年間を通じて厄除けの祈願を受けているお寺が各地にあります。お寺での厄除けは、僧侶が読経をし、その場にいる人たちが一緒にお経を聞いたり、場合によっては唱和したりするスタイルが多く、神社での祈祷に比べて室内での時間が長くなる傾向があります。そのため、冬場などは身体が冷えやすく、ひざ掛けやカイロを持参すると安心です。申し込みの流れは、当日受付のところもあれば、事前予約が必要なところもありますので、公式の案内を必ず確認しましょう。神社とお寺のどちらを選ぶかは、「どちらの雰囲気に心が落ち着くか」「先祖とのつながりをどう感じたいか」といった点で判断してかまいません。どちらが正解というより、自分と家族にとってしっくりくる場所を選ぶことが大切です。
車移動と公共交通、それぞれの動き方と安全の視点
島根で寺社を巡る場合、車があるかどうかで行動範囲が大きく変わります。車で移動できる場合は、目的地の駐車場の有無、入り口までの道の幅、山道の有無などを事前に確認しておきましょう。特に冬場の山間部では、チェーン規制や通行止めが発生することもあるため、道路情報をチェックしてから出発することが大切です。一方、公共交通機関を利用する場合は、バスやローカル線の本数が都市部ほど多くないことを念頭に置き、乗り継ぎ時間を余裕をもって計画する必要があります。路線バスは一時間に一本ということも珍しくないので、「行きは良かったが、帰りの便がない」といった事態を避けるために、往復の時刻表を必ず確認しておきましょう。どちらの移動手段でも共通して大事なのは、「暗くなる前に主要な移動を終える」「雪や雨の強い日は計画を見直す」など、安全を優先する姿勢です。厄払いの外出そのものが原因で無理をしてしまっては、本末転倒になってしまいます。
電話や公式サイトで事前に確認しておきたい事項一覧
実際に厄払いに出かける前に、できれば電話や公式サイトで確認しておきたいポイントを整理しておきます。まず、祈祷の受付時間と、予約の必要性です。「午前中のみ受付」「特定の日だけ厄除けの祈祷をまとめて行う」といった運用をしている寺社もあります。次に、初穂料や御布施の目安です。金額はあくまで「お気持ち」ではありますが、案内に目安が書かれていることも多いので、その範囲内で自分や家族に合った額を決めておくと、当日迷わずに済みます。服装について特別な決まりはないことが多いものの、あまりにラフすぎる装いは避け、清潔感のある服を選ぶとよいでしょう。さらに、子ども連れでも問題ないか、妊娠中でも参加できるか、バリアフリーの設備があるかなど、気になる点があれば事前に尋ねておくと安心です。こうした準備をしておくことで、当日は祈りに集中しやすくなり、行き帰りの不安も減らすことができます。
厄払いをきっかけに島根での一年を整える小さな習慣
厄払い後の一週間・一か月・一年の使い方を考える
厄払いを終えたあと、その経験をどのように日々の生活に生かすかは人それぞれです。ただ、「行って終わり」にしてしまうと、せっかくの節目の時間が少しもったいなく感じられるかもしれません。おすすめなのは、厄払い後の一週間・一か月・一年という三つの区切りを意識してみることです。まず一週間以内に、参拝のときに感じたことや印象に残った言葉を、ノートやスマホに書きとめておきます。完璧な文章である必要はなく、「今年は健康に気をつけたい」「家族との時間を増やしたい」といった短いメモで十分です。一か月ほど経ったころ、そのメモを見返してみて、「できていること」「まだ手をつけていないこと」を確認します。できていないことがあっても、自分を責める必要はありません。むしろ「続けるには少しハードルが高かったかな」と振り返り、もう少し小さな行動に分けてみる良い機会です。一年後、同じノートを読み返してみると、「あのときより少しは前に進んでいる」と感じられることが、一つは見つかるはずです。
島根の海・山・温泉を生かしたシンプルなセルフケア
島根の魅力の一つは、少し車を走らせれば海や山、温泉にすぐ手が届くことです。厄年の三年間を穏やかに過ごすためのセルフケアとして、こうした自然の力を積極的に借りてみましょう。例えば、日本海を望む海岸沿いを、休日の午前中に二十分だけ歩く時間を作ってみます。波の音を聞きながら、深呼吸を意識すると、頭の中が整理されていく感覚を覚える人も多いでしょう。山の近くに住んでいるなら、季節ごとに色の変化を眺めながら短い散歩コースを決めておき、疲れたときほどあえて歩きに出てみるのも一つの方法です。温泉は、旅行のときだけでなく、日帰りで利用できる施設も多くあります。月に一度でも、ぬるめのお湯にじっくり浸かる時間を持てば、体の芯から温まり、眠りの質も変わってきます。こうした行動はどれも特別な「開運法」ではありませんが、ストレスをためこまない生活の土台となり、その結果として厄を軽くしていくことにつながります。
地域とのつながりを少しだけ増やす行動のヒント
厄年は、自分一人の力だけではどうにもならない出来事に直面しやすい時期とも言われます。そのときに支えになってくれるのが、家族や友人、地域の人とのつながりです。とはいえ、いきなり深い付き合いを求める必要はありません。まずは、自治会や町内会から回ってくるお知らせに目を通し、興味の持てそうな清掃活動やお祭りがあれば、年に一度だけでも顔を出してみるところから始めてみましょう。子どもがいる家庭であれば、学校行事や部活動の送り迎えの場で、他の保護者に「いつもお世話になっています」と一言添えてみるだけでも、関係性は少しずつ変わっていきます。職場でも、同僚や後輩に感謝を伝える機会を意識して増やすと、いざというとき相談しやすい雰囲気が生まれます。島根のように顔見知りが増えやすい地域では、「なんとなく知っている人」が一人いるだけで、日常の安心感が大きく違ってきます。
不安なときに役立つ「お願いノート」の作り方
厄年には、理由のはっきりしない不安を抱えやすくなります。そのもやもやを整理する道具として役立つのが、「お願いノート」です。準備するのは、少し丈夫なノート一冊だけでかまいません。まず、厄払いに行く前の段階で、今心配していることや、うまくいってほしいと願っていることを、思いつくままに書き出します。仕事・健康・人間関係など、分野ごとに分けて書いても良いですし、時系列に並べても構いません。参拝の前日にこのノートを読み返し、「特にこれだけは大事にしたい」と感じた項目に印を付けておきます。当日は、その印を付けた内容を中心に心の中で伝えるようにすると、祈りの言葉が具体的になります。厄払いのあとも、数か月に一度このノートを開いてみて、「気にならなくなったこと」「状況が変わったこと」に丸を付けていくと、自分なりの成長の記録にもなります。紙に書いて目で見ることは、頭の中の不安を外に出すことでもあります。誰かに見せる必要はありませんので、飾らず正直に書いてみてください。
厄年が終わったあとも続けたい感謝の参拝とお礼の仕方
前厄・本厄・後厄の三年間が終わるころには、「やっと一区切りついた」と感じる人も多いでしょう。そのタイミングで意識しておきたいのが、「お世話になった寺社へのお礼」です。厄払いの祈祷を受けた神社やお寺があるなら、節目の年が終わったあとに一度足を運び、「大きな事故もなく過ごせました」と手を合わせてみてください。お守りやお札を授かっていた場合は、古札を納める場所に返納し、新たな一年に向けて必要であれば新しいお守りを受けるとよいでしょう。遠方でなかなか行けない場合は、郵送でお札を納める方法について案内が出ていることもあるので、公式サイトを確認してみると安心です。厄年が終わったからといって、完全に寺社から離れてしまう必要はありません。むしろ、年に一度だけでも感謝の参拝を続けていくことで、「困ったときにはまた相談できる場所」があるという安心感が、今後の人生を支えてくれます。
まとめ
島根で厄払いを考えるとき、最初に大切にしたいのは、「何をしたら正解か」という答え探しに振り回され過ぎないことです。出雲・石見・隠岐それぞれの地域には、長く受け継がれてきた風習や行事がありますが、そのすべてを一人の生活の中で完璧に再現する必要はありません。神在月やお忌みさん、紐落としといった島根ならではの文化は、「人が安心して暮らすために工夫してきた歴史」として、まずは穏やかに受け止めてみましょう。そのうえで、自分が暮らしている場所や家族の状況に合わせて、氏神への参拝や有名な社での祈祷、自然の中でのセルフケア、小さな人間関係の見直しなど、取り入れやすいものから選んでいけば十分です。厄年は、必ずしも不幸が起こる年ではなく、「体や環境の変化に気を配り、生活を整え直すための合図」と考えることもできます。島根の静かな風景や神さまの物語を味方にしながら、自分らしい一年の歩き方を見つけていきましょう。


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